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【サンシャイン2年】Extensive Reading/Maria Talks about Her Life【和訳】

この教科書をお持ちの方は、こちらのページをご覧ください。

学校で習う表現と異なる場合がありますので参考程度に見てください。

1930年代の終わりごろ、ヒトラーが率いるナチスは、ユダヤ人を迫害し、ヨーロッパ各地に攻め込んでいました。オーストリアのザルツブルグにある修道院でシスターになろうとしていたマリアは、トラップ大佐の家に家庭教師としてやってきましたが…。

p116

「どうか私の子供たちを厳しくしつけてください」とトラップ大佐はマリアに言いました。

マリアは彼の言うことを聞きませんでした。

彼女は子供たちに歌を教えました。

彼は彼女のやり方が好きではありませんでした。

しかし彼らの楽しい歌はゆっくりと大佐の心を変えました。

「マリア、君は私の人生を変えたよ」と彼はある日言いました。

「ずっと私たちと暮らしてくれないか」

彼女は考えに考えました。子供たちは彼女が大好きでした。

それで彼女はついに「はい」と言いました。

p117

マリアがその後の人生を語ります。

ある日私の夫はナチスから一通の電報を受け取りました。

彼は私たちに言いました。

「私は明日彼らに会わなければならない。私は彼らに『ノー』とは言えない。

私たちは今夜オーストリアを脱出しなければならない」

私たちはアルプス山脈を越えてイタリアに逃げました。

その時、私には9人の子どもと”お腹に赤ちゃん”がいました。

イタリアで私たちは生活のために歌い始めました。

私たちの趣味は今や仕事になっていました。

私たちはパーティー、誕生日、そして結婚式のために歌いました。

イタリアの人たちは私たちに好意的ではありませんでした。

彼らは言いました。「トラップ一家はユダヤ人ではない。彼らはヒトラーのスパイだ」

それで私たちはフランスへ行きました。しかしまた同じことがそこで起こりました。

彼らは私たちを歓迎しませんでした。

p118

私たちはヨーロッパを離れてアメリカへ行きました。

私たちは再び生活のために歌い始めたが、アメリカ人も私たちを好きではありませんでした。

「なぜ彼らは私たちにとても冷たいのだろう?」と私たちは不思議に思いました。

「たぶん、私たちはまだ十分上手ではないんだ。」

ある日、デンバーで、私たちがステージで歌っていた時、ハエが私の口の中に入りました。

私はとても驚いて歌うのをやめました。

私は前に進み出て聴衆に言いました。

「私は歌を忘れてしまいました、なぜならちょうど今ハエを飲み込んでしまったからよ」

彼らはみんな笑いました。私たちも笑いました。

その後は、すべてのことがうまく行きました。

人々が私たちに微笑みかけ、そして私たちも微笑み返しました。

まもなく私たちは国中でとても人気になりました。

p119

戦争後、1950年に私たちはコンサートツアーでオーストリアに戻りました。

そこで私たちは親戚や友人に会いました。

彼らは戦争中のオーストリアでの困難について私たちに話しました。

そして私たちは彼らに自分たちの困難について話しました。

彼らは言いました。「私たちは子供を失い、あなたたちは祖国を失いました」

戦争には勝者はいません。

敗者がいるだけです。

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