【PROGRAM8】Friendship across Time and Borders【和訳】
学校で習う表現と違う場合がありますので参考程度に見てください。
1985年、イラン・イラク戦争のときに、イラクが突然「今から48時間後、3月20日午後2時以降にイラン上空を飛ぶすべての航空機を撃墜する」という通告をします。その時刻が迫ったときに、イランにいる日本人たちは…。
Part1・和訳
215人の日本人がテヘラン空港にいました。
彼らはすぐにイランから去ることを望んでいました。
時間が経つにつれて、彼らは慌てふためきはじめました。
突然、2機の飛行機がその日本人たちを助けるために現れました。
それら(2機の飛行機)はトルコからきました。
日本人たちは全員飛行機に乗って、急いで日本に向けて空港から出発しました。
それは最終期限直前でした。
なぜトルコの飛行機がやってきたのでしょうか?
なぜ日本人たちを救ったのでしょうか?
1.通告の時間が迫る中で、空港にいた日本人はどのような様子でしたか。
➡慌てふためき始めていた。
2.イランから日本人を救出した飛行機はどこの国のものでしたか。
➡トルコ
Part2・和訳
トルコでは多くの人々が次のような話を教科書で読んで知っています。
1890年、一隻の船がトルコから日本にやってきました。
その船は日本への友好親善の旅行でした。
帰国途中にその船は和歌山の海岸で強い台風に遭遇しました。
それ(その船)は衝突してくだけ、587人のトルコ人が亡くなりました。
ある漁村の人たちは69人を救助しました。
台風でその村人たちにはあまり食べ物がありませんでした。
しかし、彼らはトルコの人たちに自分たちが食べるための最後に残った鶏肉を与えました。
彼らはまた死者の埋葬もしました。
1ヶ月後、トルコ人達は日本の2隻の船に乗って母国に向けて出発しました。
1.トルコから日本に来た船は、帰国の途中でどうなったでしょうか。
➡和歌山の海岸で強い台風に遭遇した。
2.村人たちはトルコの人たちのために何をしたでしょうか。
➡食べ物を与えたり、死者の埋葬をした。
Part3・和訳
トルコと日本の関係は、その後どのようになったのでしょう。
今日、日本とトルコはとても強い友情を分かちあっています。
1999年8月17日に、大きな地震がトルコをおそったとき、日本人は援助のためにトルコへ向かいました。
和歌山の人たちも、トルコの人たちを助けるために、食料や薬品、その他の必要な物資を送りました。
それから、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。
今度はトルコの人たちが日本人を助けるために来ました。
もし私達がこのような努力をし続けたら、私達の世界はよりよいところになるでしょう。
ほかの人たちのための小さな援助は大いに役立つのです。
1.トルコと日本で地震が起きたときに両国はどんなことをしたでしょうか。
➡援助のため、お互いの国に向かったり、物資を送った。
2.「よりよい世界」を築いていくために大切なことは何でしょうか。
➡他の人たちのために小さな援助をし続けること